Subtitling For Films
2005年5月31日今日は翻訳のことについて少し。
翻訳と一言に言ってもいろいろあって、今日は映画の字幕翻訳をしているかの有名な戸田奈津子さんのことについて言及を。
最近バッシングを激しくされているが、ここは一つ、らばが弁護をするとしよう。
ちなみに私は別に戸田奈津子さんのファンでも遠縁の親戚でもないことは前もって言っておく。
相変わらず私見だが、翻訳とは英語から日本語へだとか、日本語から中国語へだとかいう、単に言語の変換なのだが、評価されるときは、芸術性も見られると私は思っている。
それというのは、言葉を違う言語に変えるときに、=(イコール)で簡単に置き換えられる単語というのはそうたやすく見つけられないからである。
じゃぁ、何に変えるか?
仕方がないから、それに近い意味を持つ言葉、あるいはその意味を含む別の言葉などに置き換える。
数学で言う、≒、>、<、≧、≦、≪、≫、∽、などなどが使える関係は全部使えるのだ。
その言葉を選ぶ際に、できるだけ大衆にわかりやすいものを、大多数の人が賛成しそうなものを、というだけに過ぎない。
大衆向きに選ばなくたって、それは間違いではない。
誰かの絵画を全員が賛美しないように、一人の翻訳を全ての人が賛同してはくれない。
これはもう同じ映画を見ても、感動する人やいない人がいるというのと同じ。
同じ音楽を聴いて、乗る人と乗らない人がいるのと同じ。
見方や解釈は十人十色。
そういう言い方で行くと、私もいろんな人の翻訳された本を読んだり、映画を見たりしたが、「私だったら、こう訳すのに」と思う部分はたくさんある。
翻訳家がすばらしい、すばらしくないにかかわらずだ。
私が誰かの翻訳に賛同しないというのは、誤訳というのとはまたちがう。
そういう風にとる人もいるというそれだけの話だ。
翻訳家同士で、他人の翻訳を読むと多かれ少なかれ、自分の感性を出して読んでしまうものだ。
ケチをつけ始めると、どんな著名な翻訳家でさえ、ケチをつけるのは簡単なのだ。
さて、問題の誤訳、誤訳と、みんなが騒ぐ内容について。
一番顕著に言われているのが、「ロード・オブ・ザ・リング」と「オペラ座の怪人」だ。
これは誤訳というより、誤算と私は見ている。
両作品はもともと、映画になる前から、有名な作品でそれだけに、ファンや詳しい人も多い。
指輪物語の方などは、原作を読めば、すこんと大きな塊が映画からぬけている。そして人間関係などもかなり希薄にしてある。
時間制限があるから無理もない。
しかし、その原作を知って映画を見るのと、原作を知らずに映画を見るのでは受ける印象はやや違う。
私は原作を読んだ人に字幕をさせるべきだったとは確かに思うが、それは映画会社の責任であって彼女の責任ではない。
これは分野や専門ごとに分けないで、なんでもかんでも一人に丸投げしてしまう業界の問題だ。
戸田奈津子さんはどう考えても原作を読んでないと思われるが、映画を実際見た人で、原作を読んでる人が何人いたのかということを考えると、あのカットされた映画だけを楽しみに来ている人たちが大多数かも知れず、一般受けはしていたと言える。
しかしファンタジーファンというのは、結構こだわった人が多い。
英語が堪能な人は、英語で聞くから誤訳に結構気づかない。
誤訳と噂されてから、堪能者でも、どこ間違ってたんだ?と思う人が少なくないはず。
そして間違いの説明を読むと、なるほどファンタジーファンには許せない間違いという程度だ。
一般人は説明されてもわからない程度だ。
映画は一本全体の流れとして、私はとらえている。
服といっしょで、全体に見た感じと、縫い目を確かめる感じはちがうのだ。
それで言うとファンタジーファンは洋服を買いに行く洋裁屋に近い。
このあたりが誤算なのだ。
戸田奈津子さんが翻訳した映画は急に悪い映画になったのか。
私は否だと思う。いい映画はいい映画なのだ。
「オペラ座の怪人」は私は原作も読み、舞台劇も数度、ミュージカルも何度も見ているファンであり、誰より詳しいと自負しているが、それでも彼女の字幕にけちをつける気はしない。
映画全体を見ているからだ。
たった一行が気になるのは、かなりこだわった性格か、英語でも勉強中だからであろうと、私は考える。
だいたい、「字幕 戸田奈津子」 と出ていても、本などといっしょで、そりゃ全体を会社やチームがチェックするに決まってるだろうし、その誰かも気づかないんだから、一般人が気づくわけはない。
気づいた君らは、別のこだわりがあるか、映画を見に行ってるのではなく、間違い探しに行っていると思える。
言っておくが、戸田奈津子さんが完璧だとは一言も言ってない。
完全に間違えているんだな、という部分も確かにある。
これも、料理人が指を切るとか、歌手が音程をはずすとか、野球選手が三振するとかをミスだとすると、微々たるものだ。
それくらいでいちいちぎゃぁぎゃぁ言うみんながおかしい。
でも有名になると妬まれるのよね。
有名人のさだめなのよね。
私もそのうちバッシングされるときがきたら、有名になったと思うことにしよう。
翻訳と一言に言ってもいろいろあって、今日は映画の字幕翻訳をしているかの有名な戸田奈津子さんのことについて言及を。
最近バッシングを激しくされているが、ここは一つ、らばが弁護をするとしよう。
ちなみに私は別に戸田奈津子さんのファンでも遠縁の親戚でもないことは前もって言っておく。
相変わらず私見だが、翻訳とは英語から日本語へだとか、日本語から中国語へだとかいう、単に言語の変換なのだが、評価されるときは、芸術性も見られると私は思っている。
それというのは、言葉を違う言語に変えるときに、=(イコール)で簡単に置き換えられる単語というのはそうたやすく見つけられないからである。
じゃぁ、何に変えるか?
仕方がないから、それに近い意味を持つ言葉、あるいはその意味を含む別の言葉などに置き換える。
数学で言う、≒、>、<、≧、≦、≪、≫、∽、などなどが使える関係は全部使えるのだ。
その言葉を選ぶ際に、できるだけ大衆にわかりやすいものを、大多数の人が賛成しそうなものを、というだけに過ぎない。
大衆向きに選ばなくたって、それは間違いではない。
誰かの絵画を全員が賛美しないように、一人の翻訳を全ての人が賛同してはくれない。
これはもう同じ映画を見ても、感動する人やいない人がいるというのと同じ。
同じ音楽を聴いて、乗る人と乗らない人がいるのと同じ。
見方や解釈は十人十色。
そういう言い方で行くと、私もいろんな人の翻訳された本を読んだり、映画を見たりしたが、「私だったら、こう訳すのに」と思う部分はたくさんある。
翻訳家がすばらしい、すばらしくないにかかわらずだ。
私が誰かの翻訳に賛同しないというのは、誤訳というのとはまたちがう。
そういう風にとる人もいるというそれだけの話だ。
翻訳家同士で、他人の翻訳を読むと多かれ少なかれ、自分の感性を出して読んでしまうものだ。
ケチをつけ始めると、どんな著名な翻訳家でさえ、ケチをつけるのは簡単なのだ。
さて、問題の誤訳、誤訳と、みんなが騒ぐ内容について。
一番顕著に言われているのが、「ロード・オブ・ザ・リング」と「オペラ座の怪人」だ。
これは誤訳というより、誤算と私は見ている。
両作品はもともと、映画になる前から、有名な作品でそれだけに、ファンや詳しい人も多い。
指輪物語の方などは、原作を読めば、すこんと大きな塊が映画からぬけている。そして人間関係などもかなり希薄にしてある。
時間制限があるから無理もない。
しかし、その原作を知って映画を見るのと、原作を知らずに映画を見るのでは受ける印象はやや違う。
私は原作を読んだ人に字幕をさせるべきだったとは確かに思うが、それは映画会社の責任であって彼女の責任ではない。
これは分野や専門ごとに分けないで、なんでもかんでも一人に丸投げしてしまう業界の問題だ。
戸田奈津子さんはどう考えても原作を読んでないと思われるが、映画を実際見た人で、原作を読んでる人が何人いたのかということを考えると、あのカットされた映画だけを楽しみに来ている人たちが大多数かも知れず、一般受けはしていたと言える。
しかしファンタジーファンというのは、結構こだわった人が多い。
英語が堪能な人は、英語で聞くから誤訳に結構気づかない。
誤訳と噂されてから、堪能者でも、どこ間違ってたんだ?と思う人が少なくないはず。
そして間違いの説明を読むと、なるほどファンタジーファンには許せない間違いという程度だ。
一般人は説明されてもわからない程度だ。
映画は一本全体の流れとして、私はとらえている。
服といっしょで、全体に見た感じと、縫い目を確かめる感じはちがうのだ。
それで言うとファンタジーファンは洋服を買いに行く洋裁屋に近い。
このあたりが誤算なのだ。
戸田奈津子さんが翻訳した映画は急に悪い映画になったのか。
私は否だと思う。いい映画はいい映画なのだ。
「オペラ座の怪人」は私は原作も読み、舞台劇も数度、ミュージカルも何度も見ているファンであり、誰より詳しいと自負しているが、それでも彼女の字幕にけちをつける気はしない。
映画全体を見ているからだ。
たった一行が気になるのは、かなりこだわった性格か、英語でも勉強中だからであろうと、私は考える。
だいたい、「字幕 戸田奈津子」 と出ていても、本などといっしょで、そりゃ全体を会社やチームがチェックするに決まってるだろうし、その誰かも気づかないんだから、一般人が気づくわけはない。
気づいた君らは、別のこだわりがあるか、映画を見に行ってるのではなく、間違い探しに行っていると思える。
言っておくが、戸田奈津子さんが完璧だとは一言も言ってない。
完全に間違えているんだな、という部分も確かにある。
これも、料理人が指を切るとか、歌手が音程をはずすとか、野球選手が三振するとかをミスだとすると、微々たるものだ。
それくらいでいちいちぎゃぁぎゃぁ言うみんながおかしい。
でも有名になると妬まれるのよね。
有名人のさだめなのよね。
私もそのうちバッシングされるときがきたら、有名になったと思うことにしよう。
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